わらび餅の”わらび”って何?

 

それは、原料が「わらび粉」だからです。

わらび粉は、この山菜のわらびから取れるデンプンを使うそうです。
ワラビの地下茎を叩いて、ほぐして、洗ってデンプンを取り出して乾燥させ、わらび粉を作ります。

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本物のわらび粉、100%わらび粉は、白くなくて、黒っぽいらしいです。
よく見るわらび餅は白っぽくて夏の季節に涼やかなお菓子としてピッタリですよね。
この白というか透明なのは、サツマイモやタピオカからとれたデンプンやくず粉を使っているそうです。

原料チェックして、どんな素材を使っているのかを興味出てきませんか?

もちもちっとして、プルプルっとしたわらび餅。
確かに、涼やかじゃないかもしれないけど、100%のわらび粉でわらび餅を作ってみたくなりました☺

団扇(うちわ)のこと

携帯ショップ、銀行、駅前、、、いろんなところで団扇を配っている時期になりました。
パタパタを仰いで、自然の風で涼んでいい気持です。

漢字で書くと「団扇」です。

団扇は古墳時代に中国から伝わったそうです。
そのころは、祭りごとに使われたり、位の高い人々が光などを遮るためにかざすものとして使われていました。
祭りごとでも使う、ということからも団扇は穢れや災いなどを払う力があると神聖なものとしてとらえられていたようです。

このころは「翳(さしば)」と呼ばれていたそう。
それが、中世・鎌倉時代になると庶民も団扇が広がり、くらいが高い人々の間では、高級な絹や皮を使った団扇が好まれたようです。

室町時代になると、扇や団扇をキャンバスにとらえて水墨画を描いたものも増えてきます。夏、軸の替わりに団扇を飾っているところもありますね。

近世、江戸時代に入ると、「あおぐ」ために「蚊を払う」ための道具として使われるようになったそうです。

 

漢字の「団扇」は中国語だそうです。「うちは(打ち羽)」に対応する文字として当てられたとか。

 

 

参考URL
「うちわ(団扇)」 の由来 http://www.yuraimemo.com/2850/
うちわの語源 http://www.maniserodelasalsa.com/etymology.html
語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/u/uchiwa.html
団扇は、ただ「あおぐ」だけでないってご存知でしたか。 http://wanosuteki.jp/post_14283

 

七夕(しちせき)の節句

1年に5回ある「五節句」。
それぞれに花が当てられてます。季節ごとに邪気を払ってくれると考えられている植物です。

1月7日 : 「七草の節句」 七草粥で新年を祝う「人日(じんじつ)の節句」
3月3日 : 「桃の節句」 ひなまつりとして有名な「上巳(じょうみ・じょうし)の節句」
5月5日 : 「菖蒲の節句」 男の子の成長を祝う、こどもの日「端午(たんご)の節句」
7月7日 : 「七夕(たなばた)の節句」 おり姫、ひこ星の物語 笹
9月9日 : 「重陽(ちょうよう)の節句」 菊花の香りの酒で月をめでる

(5月5日に掲載した「こどもの日」http://latta.jp/notice/childrens-day/ にも掲載)

本来は、7月6日の夜に、願い事を書いた短冊を付けた笹竹を飾り、7日朝に川に流すそうです。

笹竹につるすのは、中国の習わし(乞巧奠(きつこうでん)が関係するようです。
竹竿に糸をかけて裁縫や習字などの習い事が上手になるように星に祈るとかなえられるというもの。

そして、実は、七夕の日、それは「そうめんの日」。

醍醐天皇の時代に、宮中の儀式・作法などをまとめた格式が3つあります。そのうちの一つに「延喜式(えんぎしき)」というものがあります。
その「延喜式」によると「そうめん」の原型といわれる「索餅」(さくへい)が、旧暦7月7日の七タの儀式に供え物の一つとして供えられたと記述してあるそうです。

それ以来、宮中における七夕の行事に「そうめん」が欠かせない供え物とされていたようです。1982年(昭和57年)に全国乾麺協同組合連合会は、7月7日「七夕・そうめんの日」と決めたそうです。

お椀の位置、左上右下

先日、食育に関わる講演会へ参加しました。

その中で、「一汁三菜の配膳は?」 という質問がありました。

正しくは、この配置ですよね。
主食が左、汁物が右。そして、副菜と主菜が奥にきて、香の物は真ん中に。

ご飯の朝食
ご飯の朝食

ご飯が左に理由を調べてみたところ、、、

  • 左の方が位が高いとされていること。
  • 古来、お米を何より大切にしてきた日本人の「ありがたく頂く」という心をあらわしていること(なぜ、ご飯茶碗は左側に置くの?

だそうです。

左の位が高い「左上右下」の考え方は、飛鳥時代に遣唐使などを通じて中国から伝えられたそうです。
唐の時代、中国では「天帝は北辰(ほくしん)に座して南面す」という思想があったようす。日が昇る東は日が沈む西よりも尊いという考え方です。
また、陰陽五行で「左」は陽で「右」は陰にあたることからも左のほうが高いとされています。

この「左上右下」はいろいろなところに見ることができます。
一つはお雛様とお内裏様の飾り方。
当事者の人形側から見て、左をお内裏様、右をお雛様にするこの飾り方は、日本古来の飾り方。京都などでよく見かけます。関東では、この逆を飾るのが主流になっています。

なぜか。

それは、世界通例に沿った飾り方をしているから。
西洋では、右が上位です。(右がright (だたしい)と言われることからもわかります)

オリンピックの表彰台も、金メダリストを真ん中にして、その右(向かってみると左)側が銀メダリスト、その左(向かってみると右)側が銅メダリストになっているのもこの右上位に関係しています。212859

また、左上位は着物にもあらわされています。
衿は右前で着ます。自分から見て左衿を右衿の上にして着る作法です。
ふすまや障子のはめ方も、ふすまや障子から見て左側を前にする決まりがあるようです。

一つ一つのことに、文化があって、歴史があるんですね。
とても興味深くて面白いです。

水無月には

陰暦で6月は水無月。

その由来はいろいろとあるようで、、、

  • 水無月の「無」は、「の」にあたる連体助詞「な」で、「水の月」という意味
  • 陰暦六月は田に水を引く月であることから、水無月と言われるようになった

とさまざま。

 

この水無月の最後、6月30日にすることといえば、「水無月餅を食べて、茅の輪くぐること」だそうです。

 

水無月餅は三角形のういろうの上に甘煮の小豆を散らした和菓子。
6月30日は、夏越祓(なごしのはらえ)をするみそぎの日。半年間の身の汚れを祓い、来たる半年の清浄を祈念し、京都ではこの日「水無月」を食べるそうです。

その昔、宮中の人々は氷室(京都衣笠山西麓)から氷を取り寄せ、氷を口にして暑気払いをしました。貴重な氷は一般大衆の手には入りにくかったため、麦粉を練って氷片になぞらえて食べたのが水無月です。水無月の三角形は氷室の氷片を表したもので、上の小豆は悪魔払いの意味を表していると言われています。夏の酷暑を乗り切り、無病息災を祈願するお菓子です(「夏越の祓、どこの水無月食べよ?」より)

 

「茅の輪くぐり」は、茅輪神事は、「ちのわしんじ」とも「輪越祭」とも言われます。
茅(ち=かや)とは、茅萱(ちがや)菅(すげ)薄(すすき)などの総称で、この輪をくぐり越えて罪やけがれを取り除き、心身が清らかになるようにお祈りするものです。

6月の大祓のことを、夏越の祓(なごしのはらえ)と呼んだり、12月の大祓のことを、年越の祓(としこしのはらえ)と呼んでいます。通常、「茅の輪くぐり」は、夏越の祓(なごしのはらえ)に行われる行事です。
茅の輪をくぐることで禊(みそぎ)をして邪悪な穢れ(けがれ)を祓い(はらい)、災難を予防する為のものです。
基本的に6月30日に行われ、夏越の祓(なごしのはらえ)と言われています。
この梅雨の時期から夏にかけては、天然痘などの疫病がはやることが多かったようで、そういった疫病除けに茅の輪が有効と考えられていました。

茅輪神事の由来や茅の輪のくぐり方、茅の輪の作り方はこちら「茅の輪について」に。

こどもの日

5月5日は「こどもの日」

「1948年・昭和23年に、国民の祝日の一つとして5月5日に制定され、『子供の人格を重んじ、子供の幸福をはかるとともに、母に感謝する日』と定められました。」(日本の行事を知ろう! オーライ!ニッポン より)

3月3日が「桃の節句」と言われるように5月5日は「端午の節句」と呼ばれています。
端午の「端」は物の端(はし)で「はじまり」という意味。「午」は干支や暦に出てくる午(うま)のこと。
つまり、端午は、月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味になるので、5月に限ったものではないんですね。

でも、午(ご)と五(ご)の音が同じなので、毎月5日を指すようになって、奇数の重なることをおめでたいとする考え方から、5月5日のことになったとも伝えられているようです。

奇数の重なることをおめでたいとする考え方は、五節句にも関係。

五節句

  1. 1月7日  :  「七草の節句」 七草粥で新年を祝う「人日(じんじつ)の節句」
  2. 3月3日  :  「桃の節句」 ひなまつりとして有名な「上巳(じょうみ・じょうし)の節句」
  3. 5月5日  :  「菖蒲の節句」 男の子の成長を祝う、こどもの日「端午(たんご)の節句」
  4. 7月7日  :  「七夕(たなばた)の節句」 おり姫、ひこ星の物語
  5. 9月9日  :  「重陽(ちょうよう)の節句」 菊花の香りの酒で月をめでる

鎧や兜を飾ることは、武家社会から生まれた風習だそう。端午の節句のお祝いの仕方や邪気を払うとされる菖蒲について、詳しくはこちらに 節句人形とは 端午の節句の意味

端午の節句には粽(ちまき)や柏餅を食べます。今日のスーパーでもたくさん売ってました。

粽(ちまき)を食べる理由は、、古事にあるそうですが、古代中国の人のあいだで、「粽(ちまき)」は忠誠心に厚く、忠誠心の象徴と言われていたようです。

柏餅を食べる理由は、柏の葉は、冬になっても落葉せず、新芽が吹くと落葉するので、後継ぎができるまで親葉が落ちないので、おめでたいものという考え方だそう。餅も神事に欠かせないもの、「餅を柏の葉で包んで供える」ことになったということです。

十三詣り

十三詣りの時期ですね。

十三詣りは東京ではあまり一般化していないようですが、関西地方(特に京都)では七五三と同じように大切な風習とされています。

陰暦の3月13日、現在の4月13日に数えで13歳になった男女児が氏神様やお寺にお参りしてお祓いをうけるのですが、京都の嵯峨野・嵐山にある法輪寺の十三参りが有名。

智恵や知識、記憶にご利益があるとされている虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)にお参りします。より詳しい虚空菩薩のことはこちら 仏像ワールド 虚空菩薩

お詣りの帰り道にある渡月橋を渡る際には、授かった知恵が元に戻って無くならないように、橋を渡り終えるまで後ろを振り返ってはいけないと伝えられています。

この「13歳」という年齢は、自分の生まれ干支がちょうど一巡りしてもとの干支に戻る年であり、最初の厄年になります。そして、その年齢の女の子はちょうど体が大人へと変わる頃であり、体調の変化も大きく、古より厄年の年齢とされているんですね。

十三詣りの期間は3月13日~5月13日の間。この時期、京都に行くのであれば、法輪寺を訪ねるのも楽しそうです。

法輪寺のサイトはこちら 法輪寺(通称 嵯峨の虚空蔵さん)

桃・栗3年、柿8年・・・・その続き

桃栗3年、柿8年に続きがあると聞きました。

ちょっと調べてみることに。 すると、ありますねー。いろいろと。

桃栗3年柿8年 柚子は9年
桃栗3年柿8年 柚子は9年でなりかねる
桃栗3年柿8年 柚子は9年でなりさがる 梨のバカめは18年
桃栗3年柿8年 柚子は9年の花盛り
桃栗3年柿8年 柚子は9年の花盛り 梅は酸いとて13年
桃栗3年柿8年 柚子は10年花盛り
桃栗3年柿8年 柚子は遅くて13年
桃栗3年柿8年 柚子の阿呆は13年
桃栗3年柿8年 阿呆の柚子は13年
桃栗3年柿8年 柚子の大馬鹿18年
桃栗3年柿8年 柚子の大馬鹿18年 銀杏の気違い30年
桃栗3年柿8年 柚子の馬鹿めは18年
桃栗3年柿8年 梅の13年待遠い
桃栗3年柿8年 梅は酸い酸い13年
桃栗3年柿8年 梅は酸い酸い13年 柚子は大バカ18年 林檎ニコニコ25年 女房の不作は60年 亭主の不作はこれまた一生 あーこりゃこりゃ
桃栗3年柿8年 梅は酸い酸い13年 梨はゆるゆる15年 柚の大バカ18年 ミカンのマヌケは20年
桃栗3年柿8年 梅は酸い酸い18年
桃栗3年柿8年 枇杷は9年でなりかねる
桃栗3年柿8年 枇杷は9年で登りかねる
桃栗3年柿8年 枇杷は9年で登りかね 梅は酸い酸い13年
桃栗3年柿8年 枇杷は9年でなりかかり 柚子の大馬鹿18年
桃栗3年柿8年 梨の馬鹿めが18年
桃栗3年柿8年 梨のつぶては18年
桃栗3年柿8年 のろまな梨は70年
桃栗3年柿8年 胡桃の大馬鹿20年
桃栗3年柿8年 林檎ニコニコ25年
桃栗3年柿8年 銀杏のばかやろ30年
桃栗3年柿8年 後家一年
桃栗3年柿8年 人の命は50年 夢の浮世にさ丶のであそべ
桃栗3年柿8年 9年面壁10年の苦界 有情非情のもの 苦かたる蛇のなきはなし

(ブログ遙かな世界より)

「桃栗3年」ってトクホ飲料のCMできいたことはあったけれど、続きの部分、ありすぎです。。。
そもそも、「桃栗3年、柿8年」の意味は、物事を成し遂げるにはそれ相応の時間がかかる。だから頑張れ!ってこと。

実際に桃や栗を種から育てると、実がなるまでに約3年、柿は6,7年 かかるらしい(アキバ博士の食農教室「食の知恵と文化」)から前半部分はだいたい合っているみたい。
が、後半部分が種類多すぎ。。。

柚やナシは”あほ”とか”大馬鹿”とか”のろま”とか言われてるし、ミカンも”まぬけ”とも、銀杏は”ばかやろう”って・・・・。
果物で統一されているものもあれば、「女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生」というのもあり。面白い。
これって、男の人の方がたちが悪いってことでしょう(笑´∀`) まぁ、女も60年かかるっ相当ですけど。

桃栗3年柿8年の続きがこんなに沢山あるってことは、
「物事成し遂げるには、そう簡単にできない」ってことを面白おかしく言い伝えたかったんでしょうね。

「金彩」という加工の可能性

「金彩」という加工の可能性

 

産地ゴト展 vol.03 “京都” 金彩加工で作る着物地のアクセサリー に参加しました。

講師は、竹中金彩 竹中大輔さん。

金彩とは、箔や金粉を布地に接着する技術のこと。

今回は「型紙」を使い、特殊な接着剤をつけ、箔や金粉を着物の生地につけます。数種類の型紙を竹中さん自身が作ってくださっていました。

今回、ピンズとコンパクトを作りました。

まずは、ピンズを作ります。
柄は市松模様を、箔は金箔を選びました。型紙を使い、乾くと接着力がでてくるという専用のノリを付けてしっかりと乾かし、その上に箔を置きます。しっかりと圧をかけた後にそーっと箔をはがすと、、、市松模様にしっかりと着物生地に模様がつきました!

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この後、くるみぼたんを作るようにしでピンズに仕上げます。

続いてコンパクト作り。
背景とキャラクタの組み合わせです。だるまさんが草むらから覗いている様子を作りたかったので、 草 と だるま を選択。箔と金粉をそれぞれ使います。
だるまさんにはしっかりと赤の金粉を。たっぷりつけました。
まずは指でちょいちょいっと付けて、あとは筆でたっぷり、しっかり。余分な金粉を取り除くのは掃除機で。結構しっかりと吸い取っていましたが、柄はきちんと残っています。

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草むら用の箔はいろいろな色が混ざっているものをつけます。ピンズと同じ要領でつけて、、、いざ箔を外すと、、、

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キレイについています!コンパクトにはめ込んで、完成です。

「金彩」とは箔や金粉を使って、線や絵を着物につける手描き京友禅の一つの技法だそうです。詳しくはこちらにかかれています。→ これが最後の工程!化粧係と呼ばれる「金彩」

着物の仕上げに使われる技術がクルミボタンやコンパクトに応用すると、より身近に日本の伝統技術を感じられます。金彩についてもっと知りたくなりました。

 

今回のイベントは コトモノミチ@東京 で行われた 産地ゴト展 vol.03 “ 京都 ”

 

もっともっと日本の伝統の工夫された技術の背景にあるもの、一つ一つの技術の目的、歴史、そんなことを手で触れて五感で感じていきたいなぁと切に思います。

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出来上がったコンパクトとピンズ